誰もが知る激動の政治家時代を経て、現在は弁護士として新たなキャリアを歩む山尾志桜里さん。幾度ものバッシング報道やSNSでの炎上に晒されながらも、決して折れることなくしなやかに立ち上がり続ける彼女の「強さの底」には何があるのだろうか。山尾さんのTHE CHANGEに迫った。【第2回/全3回】

山尾志桜里 本人提供

「社会を変えたい」と志して飛び込んだ政界で、落選や「圧倒的な無力感」を味わいながらも這い上がってきた山尾志桜里さん。国会で「保育園落ちた日本死ね」のブログを取り上げた際の凄まじい怒号とバッシングは、いかにして国を動かす世論の巨大なうねりへと変わっていったのか。野党議員としての葛藤と、政治のリアルな熱狂を振り返る。

──「社会を変えたい」という高い志を胸に、2009年の政権交代選挙で初当選を果たしたものの、民主党政権はわずか3年で終焉。相当なジレンマがあったのではないですか。

山尾志桜里(以下同):それは、ありました。正直言うと、当時は1期生でほとんど政治というものに触れないまま、先輩議員たちが民主党政権を始めて終わらせていったという感覚でしたね。2012年の総選挙で落選したのですが、「まだ何も始まってない、手触りすらない」という圧倒的な無力感の中で、地べたを這いずり回るように活動を続けていました。
 2年間の浪人生活中、「野党になって何ができるの?」と言われ続けて、でも私は地元の有権者への約束として、「野党でもできる。女性でもできる。野党でも法律は作れるし、社会は変えられる」と説得し続けた。だから、2014年に国政復帰したときはやる気満々でしたね。