16歳のとき、父にだけは、女性として生きることをカミングアウトしました

 その後、当時「マハラジャ」というディスコがはやっていたんですけど、その系列で「トッツィー」という男の人が女装するショーパブがあって、そのパブに“春野桃子”という名前の、すごく面白くて綺麗なお姉さんがいて、妹分みたいな感じでかわいがってもらったんです。そのお姉さんが「春菜愛」という名前を付けてくれました。「春菜」はお姉さんの春野から一文字もらって、「愛」というのは五十音の中でも一番最初にあるので、お店で一番を取れるようにっていう思いからです。

 高校に入ってすぐの16歳のとき、父にだけは、正直に女性として生きることをカミングアウトしました。でも、父からその話を聞いた母は、その日から一切口を利かなくなってしまいました。そのタイミングで高校を退学し、しばらくして睾丸摘出手術を受け、19歳のときには性別適合手術を受けました。

 それからは『上岡龍太郎がズバリ!』(TBS系)などに出演して大阪での認知度も上がっていって、上沼恵美子さんの『快傑えみちゃんねる』(カンテレ)にレギュラーで
出させてもらえるまでになったんです。その当時は、亡くなった飯島愛さんとご一緒する機会が多くて、愛さんから「上京して一緒にやらない?」と声をかけてもらったんです。それが22、3歳の頃でした。

 大阪じゃないから、私の過去を知っている人も少ないだろうとも思って、「女の子として生きよう」と決心して上京したんです。でも、東京ではオーディションにも受からず、仕事もなく、月給500円のときもありましたね。その頃には母とは和解していて、よく電話がかかってきたんですけど、「東京でしか映らない番組に出ていて忙しいよ」ってごまかしていたんです。それでも察してくれたんでしょうね。心配してくれた母は食材と一緒に3万円を送ってくれたこともありました。