苦労していないことがこの仕事においてはマイナスになる

 その頃、実の父親で日本人初のプロテニス選手である石黒修氏から「卒業後はどうするんだ」と聞かれたという。石黒さんのデビュー作『青が散る』への出演を勧めた張本人である。

「最初に勧めちゃった手前、大丈夫かなって思ったんでしょうね。大学の4年間でもそれなりに仕事はいただいていて、俳優の仕事が面白いなと思えるようになってきていたんです。でも俳優になりたいとか一旗揚げたいって連中ばっかりの中で、僕みたいに経験もなく親の七光りでデビューして何となくヒットに恵まれて。ヘンな話、苦労をしていないんです。ある時、父にこう言われました。“俺は芸能界のことは判らない。芝居のことは判らないから、賢にアドバイスは出来ない。ただ、賢は苦労していないことがきっとこの仕事においてはマイナスになるだろう”と。いま思えば父には感謝してますよ。子どもを持つ身になってみれば、子どもたちにそんな心配をさせずに生きてこられたのはありがたいことだなって思います」

 俳優としてやっていこうと決めた石黒さんだが、苦労したのは育った環境が他の俳優たちと違うということだった。実際に、当時の石黒さん自身の心境はどうだったのだろうか──。

「主役でデビューしたことや、親の名前だったり、やっぱりそういう先入観で耳障りの悪いことを言われたりもしました。“なんでこの人にこんな物言いされなきゃいけないんだ、俺のこと知りもしないのに”って思ったこともありましたね。ちょっと話してくれたら判ってくれると思うのになって。でも、そのうち言いたい人には言わせておこう……って思えるようになりました」