『おしん』の再放送を給食の時間にみんなで見た

――撮影時は、その後の反響は予想せずに一生懸命お芝居されていたことと思います。

「4年生の1月に山形ロケが始まって、2月の頭くらいに奥多摩のシーンがあって、そのすぐあとにセットでの撮影が続きました。3月末に撮り終わって、4月の4日から放送スタートだったんです」

――間がなかったんですね!

「そうなんです。撮影が終わってすぐに放送スタートでした」

――当時はインターネットなどもありませんでしたが、『おしん』は日本のテレビドラマ史上、もっとも高い視聴率を記録したドラマです。反響を肌で感じることはありましたか?

「放送当初は、自分の中では撮影が終わって普通の小学5年生の学校生活に戻ったというだけで、またお友達と一緒に過ごしていました。でもゴールデンウィークに入る前くらいから反響が大きくなっていって、道を歩いていても“おしんだ”と言われるようになっていきました。ただ私や家族も、『おしん』をやる前とその後で何かが変わったかというと、特に何も変わっていなくて、周りの人からの見られ方が大きく変わっていった感じでした」

――そうかもしれません。

「当時は児童劇団に入っていて、『おしん』もオーディションで選ばれての出演でしたので、次のオーディションのときには、“『おしん』の少女時代を演じました”と自己PRで言えるようになるかなくらいに思っていました。それが、オーディションではなくていろんなオファーが舞い込んでくるように」

ーーもちろん、そうでしょうね。

「そうした変化はありました。でも身近なところでの変化は本当にありませんでした。幼なじみがいて、クラスメイトがいて。ただ、学校の給食の時間にテレビを見ることになりました。それは変化でしたね(苦笑)」

――給食時間にテレビを?

「それまではなかったんですけど、“小林さんが出ているし『おしん』はとてもいいドラマなので、みんなで見ましょう”と。再放送が始まる12時45分はちょうど給食の時間なので」

――それは正直、抵抗がありますね。

「先生に“恥ずかしいのでやめてもらえませんか”とお願いに行ったんですけど、“いいドラマなので、ぜひみんなで見ましょう”ということになって、どういうわけか、私は友達と一緒に給食を食べながら『おしん』を見ることに。しかも結局、学校の全クラスで見ることになったんです」

――(苦笑)。忘れてましたが、たしかに当時は各教室にテレビが1台ありました。

「そうなんです。去年だったかな。伊東四朗さんと京都の現場でご一緒したときに、そのお話になって“そういえば、うちの息子も学校の給食の時間に見ていたな”と。伊東孝明さんも私と同じくらいの世代なので……」