美味しんぼで変わった食の意識

 その後、稲田さんは大学に進学し、京都でひとり暮らしを始める。食に関する探求は加速していった。

稲田「ひとり暮らしなので自分で料理しますし、外食をする機会も増えます。いろいろなお店に行くことで、作るという部分にプラス、飲食店というものに対する興味もどんどんふくれあがっていきましたね」

 当時は1990年代。漫画『美味しんぼ』(小学館)が一大ブームとなっていたが、稲田さんも影響を受けたのだろうか。

稲田「間違いなくありますね。食に対してどういう意識をもてばいいのかとか、どうこだわるのかとか。今、冷静になってみると、化学調味料に対する考え方とか賛成できない部分はあるんですけど、価値観みたいなものが一回、そこでリセットされたのは間違いないです」

 女性の存在も料理を加速させた。女性を家に呼ぶためおしゃれな料理を作るようになったのだが、料理への興味が下心を上回ってしまい、食後に「明日の仕込みがあるから」と女性を帰してしまったこともあるのだとか。

稲田「ただ、その時点ではまだ、料理を仕事にしようという考えはなかったんです。ただ、卒業が近づいてくると、いろいろ考えるようになるんです」

エリックサウスにつながる岐阜時代

 学生の頃は料理と並行してバンド活動に夢中だった稲田さん。音楽で食べることも夢見たが、それはいったんあきらめ、将来の夢を「元ミュージシャンがやっている飲み屋」とし、レストラン運営もしている大手食品会社に就職することになった。

稲田「自分が希望して入った会社でしたけど、レストラン運営はあくまでプロデュースで、デスクワークの世界だったんです。そこで自分がしたいのは、自分で料理を作って、自分でお客様のところに持っていって、それをおいしそうに食べているところを目の当たりにする、ということだったんだ、と気づくんです」

 会社を辞め、夢である「元ミュージシャンがやっている飲み屋」を目指すべく、いろいろな飲食店で経験を積もうとしていたとき、知り合いから居酒屋を手伝ってほしいと声をかけられ、岐阜で店を一緒にやることに。これが現在、稲田さんがプロデューサーを務める「円相フードサービス」の原型になった。

稲田「居酒屋らしくない居酒屋。いわゆるダイニング居酒屋のはしりでした。そこではやりたい放題でしたね。夏の時期だから冷製パスタを出そう。でも、他と同じじゃ嫌だからとワタリガニの殻を使ったビスクソースのパスタとか出していました。手間もコストもかかりますけど、自分たちがやりたいこと優先で、他のメニューで儲けは出せばいいやと。楽しかったですね」

 商売はしっかりと考えつつも、自分のやりたいことを最優先する。稲田さんのその姿勢こそが、後の「エリックサウス」の成功につながっていくのだった。

プロフィール
稲田俊輔(いなだしゅんすけ)
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学を卒業後、飲料メーカー勤務を経て、円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など幅広いジャンルの飲食店を25店舗、展開。2011年には東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店し、日本のカレー業界を一変させた。ナチュラルボーン食いしん坊を自称し、著書も多数、手掛ける。近著は『ミニマル料理: 最小限の材料で最大のおいしさを手に入れる現代のレシピ85』(柴田書店)、『「エリックサウス」稲田俊輔のおいしい理由。インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトル・モア)

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