「はっけよい!」の意味もわからず…
そして、7月の名古屋場所で、初土俵を踏む。「小錦八十吉」という四股名が、高砂部屋伝統の四股名だと知るのは、だいぶ先のことになるが、「ハワイから来た新弟子」が、師匠をはじめ部屋関係者に、どれだけ期待されていたのかが想像できる。
最初の対戦相手は、藤島部屋の鍵原。仕切りもあやふや、「はっけよい!」の意味もわからず、土俵上で戸惑ったものの、突き放す相撲で勝利を挙げた。
小錦さんは、振り返る。
「みなさんから、よく“現役時代、一番印象に残る相撲は?”という質問を受けるんです。大関を決めたり、優勝したり、忘れらない相撲はいろいろあるけど、僕にとっては、最初に相撲を取ったこの一番が、印象的ね。数か月前まで日本の相撲のことを知らなかった僕が、『プロ』として土俵に上がって相撲を取っている。このシーンが僕の相撲人生の原点なんですよ」
翌秋場所は、序ノ口で優勝。11月の九州場所でも序二段で優勝するなど、非凡なところを見せた小錦さんは、(番付に付いて)8場所目の83年九州場所で、新十両に昇進する。
「とにかく5年がんばってくるから」
と、反対する母に誓って来日した小錦さんは、1年半ほどで、「関取」に昇進。給料をもらえる身分になった。
(つづく)
小錦八十吉(こにしき・やそきち)
1963年12月31日米国ハワイ州オアフ島生まれの元大相撲力士。外国人力士として初の大関として活躍。1982年:ハワイ大学付属高校卒業後、高見山 (現在の東関親方)にスカウトされ高砂部屋に入門。[大関通算成績]733勝498敗95休 [幕内成績]649勝 (歴代8位) [大関在位]39場所 (歴代4位)[三賞]殊勲賞4回、敢闘賞5回、技能賞1回
引退後は、タレント、アーティスト、イベントプロデューサーとしても活動し、テレビやCMに多数出演。NHK教育番組『にほんごであそぼ』レギュラー出演(2000年〜2023年まで20年間出演)。その他、ハワイアンミュージシャンとしてはアルバムを13枚出している。最近は オリジナルのBBQソースを開発し BBQマスターとしてイベントを開催。相撲普及活動にも力を注いでおり、世界中で相撲イベントを開催中。
<ボランティア活動>
ハワイ幼少期から精力的に行なっており、日本では1998年KONISHIKI基金設立し、毎年ハワイの子供たちを日本に呼び日本文化を体験させる活動を10年間続けた。阪神淡路大震災、中越地震、東北大震災、熊本地震後には友人を募って物資を届けたりちゃんこ鍋や BBQの炊き出しを行なったりした。東北の子供たちにはコニサンタプロジェクトとしてクリスマスプレゼントを3,000個届けた。