34歳のときにドラマ『抱きしめたい』(フジテレビ系)などでトレンディ俳優として大ブレイクし、バブル期を象徴するスターとして一時代を築いた石田純一。私生活では1996年の「不倫は文化だ」騒動や、コロナ禍でのバッシングなど、世間の猛烈な逆風を幾度となく浴びてきた。
しかし、その裏には、バブル崩壊による莫大な借金返済や、いしだ壱成、すみれ、そして東尾理子との間に生まれた子どもたちと向き合う父親としての顔がある。現在は自ら焼肉店やフレンチレストランの店頭に立ち、終電で帰宅する日々を送る石田純一。栄光と挫折、幾多のスキャンダルを乗り越え、72歳を迎えた“平成一のモテ男”が語る波乱万丈な半生と、知られざる“THE CHANGE”に迫る!【第1回/全2回】
都立青山高校時代は、野球青年でした。ピッチャーで4番。甲子園の予選は都内でベスト16くらいまで勝ち上がったんじゃないかな。盛大な応援を受けました。都立でも国立高校が甲子園出場したという過去もあります。でも青春というのは負けて挫折するものです。あの夏の甲子園では、三沢高校と松山商業の有名な延長再試合の決勝戦(69年)があり、テレビ観戦してましたね。
大学は早稲田の商学部でしたが、読書と映画三昧時代でした。貧乏学生ですから、池袋の文芸座で700円も払えば、4本立てで、溝口健二監督の『雨月物語』でも『西鶴一代女』でも。あるいは小津安二郎監督の『東京物語』を観て、一日過ごせましたね。洋画の『ローマの休日』などは、画面に一切の無駄がなく、すべてが本編に凝縮されていました。今となっては書籍などかなり捨てましたが、まだ2000冊ほど蔵書はあります。米国の詩人ゲーリー・シュナイダーなども好きでした。
大学では企業マーケティングを学んでいました。慶應義塾大学商学部の村田昭治先生が、早稲田でもゼミを持たれていて、それは人間哲学のようなもので、人間理解からマーケティングが始まるのだと。演劇に置き換えれば、観客の望んでいることを、上手に提供するのが役者に求められるものになりますね。
同じような趣味の女性と知り合ったのもその頃で、彼女は妊娠して「好きな人の子供だから産みますよ」と、それがいしだ壱成(51)でした。二十歳のときです。私といえば大学を辞め、留学してまで演劇をやりたくて、米国ロサンゼルス郊外のアメリカ演劇アカデミーに入学しました。ロバート・レッドフォードも輩出した学校です。テーマに沿って「即興で演じてみよ」とか楽しかったですよ。