当時はバブル「私にしても、浅野温子さんや浅野ゆう子さんもほぼ毎日、六本木に遊びに出て、それをそのままドラマに」

 あの時代は格好よく言えば、インテリのヒッピーだったんでしょう。後から追いかけていくと言っていた妻は、結局来なかったですけれど。壱成と再会したのは10年後でした。彼は風変わりな育ち方をしましたから、私の子供なのに弟分のような気がするんです。しっかり大人に成長してくれたことに、感謝しています。

 2年で帰国して、演劇集団「円」の研究生になりました。岸田今日子さんたちの名門劇団です。父がNHK職員で実家は井の頭線沿線の社宅でしたが、渋谷駅までは運賃40円くらいでも、地下鉄銀座線の70円は高くて躊躇する。だから稽古場のある新橋までの約5キロは、徒歩で通勤していました。貧乏劇団員とは、そんなものですよ。

 様相が変わってきたのは、88年、34歳の頃からです。その頃までのテレビドラマはお茶の間に大家族が集まって夕食であれこれ会話するホームドラマが中心でした。「食い物番組だ」などと揶揄していましたが、そんなものは面白いはずがないと、フジテレビが言い出したわけです。

 当時はバブルのまっただ中で、私にしても、浅野温子さんや浅野ゆう子さんなどもほぼ毎日六本木に遊びに出て、彼と別れたとか、女友達が誰かと不倫になったとか、そんな話をしていた時代でした。それをそのままドラマにしたんです。「時代の1メートル先と、50センチ高い位置を描こう」と、作家も、演出家も、プロデューサーも、女優も私もスタッフも考えたわけですね。あの頃のドラマの代名詞にもなった『抱きしめたい』 (88年・フジテレビ系)などは、彼女たちも私も、私服のままで出演して、そのままドラマを作ってヒットして、大ブレイクしたわけです。

 楽しかったですよ。しかも「大衆心理をつかむには」なんていうマーケティングを、実践して成功した気分になっていましたね。

つづく

石田純一(いしだ・じゅんいち)
1954年1月14日、東京生まれ。都立青山高校時代は野球部で活躍。早稲田大学を中退して、アメリカ演劇アカデミーに留学。帰国後は劇団「円」の研究生に。34歳のときにドラマ『抱きしめたい』(フジテレビ系)などで、トレンディ俳優としてブレイク。初婚で長男のいしだ壱成、再婚で長女のすみれ、その後、東尾理子との再再婚で3児に恵まれる。船橋で焼き肉店、渋谷でフレンチ店を経営。