「戦争の悲惨さを風化させないことに少しでも貢献できていると信じています」

 応援に関して、僕は人一倍思い入れが強いかもしれません。市船時代、高1の正月に応援団長としてインターハイ全国大会の決勝へ行ったことがあるんですよ。ときは昭和64年の1月。昭和天皇が崩御して「鳴り物禁止」だったので、僕たちはでっかいメガホンで、「べべべーべべべー」「ブー」なんて、口でラッパをしてね。ホンモノの楽器には到底敵わないかもしれません。でも、絶対に先輩たちの背中を押すんだ、絶対にその思いは届くんだと信じていました。実際、自分がレギュラーになった時、ふとスタンドを見た時にみんなが必死に応援してくれている姿が目に映ったら、しんどくても本当に力が湧くんですよね。

 僕の社会貢献は4つです。家族を幸せにすること、お笑い、日本のサッカーを応援すること、そしてもう1つは、14年から出演している舞台『Mother~特攻の母 鳥濱トメ物語~』。舞台は軍指定の食堂とその女主人・鳥濱トメ、特攻隊員たちの物語で、09年に大林素子さんが始めたものです。素子さんが主演を務めたのは19年まででしたが、素子さんは常々「ワッキー、『Mother』はたとえ私が死んでも誰かがやってかなきゃいけないものなんだよ」と言っていて、僕はその意思を継いで、バトンを渡していきたい。続けることが、戦争の悲惨さを風化させないことに少しでも貢献できていると信じています。

 僕はペナルティを結成して、10年でやっとテレビにちょいちょい出られるようになりました。同期のロンドンブーツが売れに売れて、後輩の品川庄司やガレッジセールが次々に先を越して……。もちろん焦りはありましたが、下積みを過ごす時に大事なものって、「俺は絶対面白い」という自信だと思います。自分が笑わせようが笑われようが、大事なのはお客さんが笑うこと。

 仮に人生がつまらないな、生活が楽しくないなと思ったら、そこにこそ工夫の余地があると僕は思っています。たとえば僕は入院中、声が出なくなった時に小声でネタを考えるということをやっていました(笑)。

 僕、自分で作った四文字熟語に「工夫楽転」という言葉があるんです。工夫次第で、楽しいに転ずる。どんな状況でも楽しくできたら、最強じゃないですか? もし何かつまずいたり、迷いが生じたりすることがあったら、「ワッキーがこんなこと言ってたな」と思い出してもらえたらいいですね。