77歳を迎えた現在も朗読劇『古事記』の全国ツアーに挑むなど、第一線で輝き続ける名優・風間杜夫。
 つかこうへいや深作欣二といったレジェンドたちに愛され、『蒲田行進曲』や『スチュワーデス物語』などで日本中を熱狂させた彼が、これまでの人生を振り返り、人生の転機THE CHANGEについて語り尽くす。
 第2回は、内気だった少年が映画の世界へ足を踏み入れた原点、そして若き日の驚きのアルバイト生活とお母様への恩返しについて明かす。【第2回/全5回】

風間杜夫 撮影/河村正和

小学2年で飛び込んだ映画の世界! 風間杜夫の最大の転機となった“母親との約束”「大工道具セットを…(笑)」

 昭和、平成、令和。時代を超えて「俳優・風間杜夫」は走り続けているが、そのキャリアの「CHANGE」といえる瞬間はいつなのだろうか。

「人生の『CHANGE』…なんだろうね。今日あるのは、いろんな人との出会いだとは思うんです。こういう取材でも“風間さんというと、つかこうへいさんとの出会いじゃないですか?”って言われるし、もちろん、それは大きいよね。

 でもね、ずっと前まで振り返ってみると、僕は子役の経験があるんですが、それは自分の意志でも何でもなく、母親が決めたこと。引っ込み思案の子どもだったので、その性格をアグレッシブなものにするにはいいんじゃないか、ってことで小学2年生のときに児童劇団に入ることになったんです。

 当時、子ども用の大工道具セット…小さいトンカチとかカンナとか、そういうのを買ってくれると母親に言われまして、その約束で入ったんです(笑)。 

 でもね、そんな理由で入ったにもかかわらず、そこで芝居をやっているうちに、“大人になったら役者になる”って決めちゃったんですよね。“もうそれしかないんだ”って。

 そういう意味で、その道筋をつけてくれたというのはおふくろなんです。おふくろが俺にこういうことをやらせてみようと思わなかったら、こんな人生にはなってなかった。それがなんといっても最大の『CHANGE』です」

 昭和30年代の前半、小学2年生で映画の世界に飛び込む。当時の大スターである大川橋蔵さんや大友柳太朗さんなど、東映時代劇全盛の頃に幼いながらも共演されている。

「そうですね。映画が五社(東映、松竹、大映、日活、東宝)と言って、うちの親父は東宝から分かれた新東宝という映画会社にいたんだけど。娯楽が映画中心の頃でね。

 きら星のごとくスターがいる中で、子役としていろんなスターを見てきましたよ。それとね、マキノ雅弘監督や加藤泰監督など、いい監督がいっぱいいました。

 そういう名監督たちと出会って、やっていたらその世界が楽しくなったんだろうね。あとは、とにかく褒められた(笑)。“キミ、なかなかお芝居上手だね”とか言われて。

 子どもですから、そりゃ嬉しいですよ。 それで俺は俳優になると決めたんだけど、将来俳優を続けたいなら子役を続けるのは良くないという意見があって、それに従って一度中学で辞めちゃいました。しばらく普通の学生をやっていました」

 しかし、学生演劇から再び「俳優・風間杜夫」が動き出す。