80年代からピン芸人として第一線を走り続けてきた山田邦子さんが、乳がんだと診断されたのは46歳の時だった。「私、死ぬの?」—— “元気印”だった山田さんの価値観がCHANGEしたできごととは。【第2回/全3回】
いちばん忙しかった時期は、レギュラー番組が1週間に14本、隔週で3本。その間にゲスト出演やCM、ドラマ、映画の撮影も入ってくる。だけど、当時は「忙しい」がわからなかったんですよね。前例を知らなくて、1人独走体勢だったので、“正解”がわからない。80年代~90年代にかけては、日本でいちばん働いてたと思います。ある日の予定が30時まで、次が6時からとか……要するにパツパツということ。24時を超えた数字で、まるで翌日じゃないかのように見せるのってよくないよね(笑)。あの頃、私が仮眠できるように全テレビ局に布団が用意してあったんだけど、楽屋に布団があったのは私ぐらいじゃないかな。
あまりにも寝る時間がなくて、本番前、カメラテストの15分の間でウトウトする。「本番だよ!」と、よく叩かれていました。歩いていても、周囲がシーンとして目の前が白くなってゆくんです。そのまま歩いているとまた視界が晴れてきて、「あ、倒れなくて済んだ」といったことが日常茶飯事でした。
私たちの商売は、喜怒哀楽が財産なんですよね。その振り幅が大きい方が活躍できる。それことをいいことに、なんでもありな生活をしていました。大笑いして、大泣きもする。「死にたい」と「生きたい」の間を行ったり来たりしていて、絶望も憂鬱も大好き。落ち込んだ時は、鏡を見て自分がどんな顔をしているのか覚えておくんです。芸に活かせるぞなんて思っちゃうのは、職業病かもしれません。
でもね、本当に死んじゃダメ。生きているからこそ、シューッと光が差した時にそれを掴むことができるんだと思う。経験則でしかないけどね。芸能界なんて、理不尽なことだらけよ。昔は先輩にぶっ飛ばされるのも殴られるのも「普通」だったし、大きい事務所の力を感じたりね。