日本初のラジオの女性DJであり、数々のヒット曲を生んだ作詞家。日本作詩家協会元会長、現顧問の音楽評論家。日本のエンタメ界を昭和・平成・令和と先導する湯川れい子さんが新著『私に起きた奇跡』を刊行した。この中で「私の仕事は、『元祖・推し活です』」と自ら評するように、エルヴィス・プレスリーをはじめ、歴史的なスーパースターを「推し」続けてきた70年余り。バイタリティ溢れる湯川さんの「推し活」ヒストリーはもちろん、昭和を彩った名曲のエピソードなどもたっぷりと語ってくれた。【第4回/全5回】

作詞家として数々のヒット曲を放つ湯川れい子さん。1980年リリースの『ランナウェイ』(シャネルズ/のちのラッツ&スター)は、ミリオンヒットを記録。以降、80年代は「作詞家・湯川れい子」としての快進撃が続く。代表曲の一つと言えるのはアン・ルイスの『六本木心中』(1984年リリース)。今もカラオケで愛されるナンバーだ。
「シンディ(・ローパー)がグラミー賞の新人賞を獲った『Girls Just want To Have Fun』という曲が出たころ、シンディに会いに行くためにニューヨークに向かっていて。
そのときにビクターのプロデューサーの飯田久彦さんに“空港に行く前に悪いけど、時間がないんですよね。これを飛行機の中で聞いて詞を書いてくれませんか。アン・ルイスの次の曲なんだけど”とカセットテープを渡されたんです。
だから機内で聴きながら書いたんだけど、もうエレキ・ギターも入っていてアレンジも出来ていていい曲なの。深夜便でみんなが寝静まった飛行機の中で、アンちゃんが歌うならこういう世界だなって。アンちゃんって、私たちから見て、まさに典型的な魅力のある女の子でしたから、アンちゃんにこういうものを歌わせたいなぁという思いで書いたのが『六本木心中』。やっぱりね、NOBODYさんのメロディが力を持っているんです。つまらないメロディだったら何も出てこない。メロディが歌詞を引っ張りだしてくれたのは間違いないと思います」