WAHAHA本舗を結成できたのは仲間がいたから

――自分のやりたいことが見えてきたとも言えますね。

「同時に、いろんな舞台を観るようになって、自分と同じようなひよっこが本当にたくさんいるのを目の当たりにしました。私たちは2時間ある芝居のなかで、出られて5分。しかも先輩の踊りの相手とか、セリフもひと言だけ。そういうことを続けていると、“本当に私はこれでいいのか”と悩み出すわけです」

――同じひよっこでも、自分たちでやっている人たちもたくさんいると。

「下手なのは当然なんだけど、痛い目に遭ってでも、自分たちでやらないと、自分が本当に芝居に向いているのかいないのか、この道が正解か不正解かも分からない。先輩にしたら“お前ら、出てきたばっかりで苦労もしないで舞台に立てていいよな”となる。そうなんですけど、こちらとしてはその実感もないわけです。悩んでいたとき、“新しい劇団を作ろう”と声があがった。それで柴田さんたちと“自分たちの笑いをやりたいね”となったんです」

――おお。

「かっこよく言うと、“敷かれたレールの上を走るより、自分たちでレールを作っていこうよ”と。かっこよく言うとね。それで盛り上がって、WAHAHA本舗結成になったわけですが、それも仲間がいたからです。ひとりだったら絶対に無理。何もできません。私は最後まで悩んでいましたし」

――そうなんですか。

「どっちがいいのか最後まで悩みました。でも仲間がいたから」

――そうやって立ち上げたWAHAHA本舗は、人気を集め、昨年40周年を迎えました。

「最初のうちはお客さんも入らなかったけれど、テレビの力が大きくて、フィーチャーしてくれたらそこからドーっとお客さんが来るようになりました。ほんと、このWAHAHA本舗が長く続いたのは、観に来てくださるお客様のおかげ。これしかないです。あと、私たちも年老いてきたので、幕の前に立つたびに、“だれも病気になったりしてなくてよかったね”と言ってます」

――みなさん元気で。

「誰かひとりが欠けてもWAHAHA本舗じゃないので。腰が痛いだの、足がつるだの、肩が上がらないだの言いながら(笑)、こうやって舞台に立てるのはありがたいことだと。涙ぐみながら幕を開けることもあります。涙ぐみながら、“笑わせるぞ!”って」