「ずっとブルブル震えていました」プレッシャーや緊張と闘い続けた日々
──悪夢を? それほどプレッシャーだったということでしょうか。
「漫才をする役だったんですけど、寄席に出て行って、何もセリフが出てこないみたいな夢を見たりすることが、しょっちゅうでした。あのころは、とにかく稽古を人一倍やっていました。漫才でも、私がフォローする役回りだったので、ほぼ一人語りのような感じだったんです。撮影は大阪でしたが、東京で仕事があるときも、漫才をずっとぶつぶつぶつぶつ言っていました(苦笑)。台本何ページ分あったかな。小さい文字で5、6ページ分ぐらいあったと思います」
──悪夢を見ていたというのは、放送が始まる前ですか? それとも放送がスタートしてからも撮影中ずっと続いていたのでしょうか。
「ずっと、ずっとです。寄席のシーンは、舞台に出ていく前からずっとブルブル震えていました。やばい、やばい、やばいって。そこから“どうも~”って出ていく。極度の緊張でしたね。もうM-1(グランプリ)ですよ(笑)」
──大変な緊張だったんですね。しかし結果が実を結んで、非常に高い評価を得ました。当時、ご自身への評判は。
「入ってきてなかったです。撮影って、朝からあるので、ほぼほぼオンエアも見られなかったんです。だから世間での評価とか、そんなのは全然わからなくて。朝起きてジムに行って、撮影に行って、食堂で健康的な食事を取って……というようなルーティーンな生活をずっとやっていたので」