最初は役者を目指す感覚がなかった
小津安二郎監督と母に親交があったと知ったのも、30代になってからです。実家の棚に古い色紙が無造作に置かれていまして。目を凝らすと母を詠み込んだ句に「小津安二郎」の署名がある。聞いたら「ああ、それ、小津さんからもらったんだよ」と。母にしてみれば自慢でも何でもなく、自然に一緒にいた人のうちの一人だったんだと思います。
母は宝塚を辞めてから、お芝居をすることはほとんどありませんでした。母の映像を僕が観たのは、40歳を過ぎてからなんです。『華麗なる千拍子』でした。
芸が半端じゃなかった。あれを20代で観ていたら、たぶん僕は役者をやっていなかった……あまりのすごさに衝撃を受けました。
実は僕、最初は役者を目指す感覚がなかったんです。生まれつき右の頬に大きなアザがありまして。みんなに指さされたり、からかわれたり。性格がねじれていた部分もあったんだと思います。
そんな中で小学3年生の時にスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』を観て、よし、監督になろう、と。作文にも書きました。両親は面白がっていましたね。
実際に自主映画を撮ったりもしました。8ミリのときは5万円で済んだんですけど、次第にベータカム(業務用のVTR)で撮るんだと意気込み、編集にこだわって編集所に3日間入ってしまった。それが280万円という、とんでもない金額になったんです。