1948年、横浜生まれ。高校時代から国内、海外をヒッチハイクで旅し、大学卒業後、東南アジアを放浪。バリ島で1年を過ごしたのち、オーストラリアに渡り、1988年まで16年滞在。現在、作家としても活躍し、独自の生き方や世界観が若者やアーティストからも熱く支持されているロバート・ハリスのTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】

ロバート・ハリス 撮影/有坂政晴

 昨年は長男坊(37)に男児が生まれて、初孫に恵まれました。つい先日まで子供だと思っていた息子が父親になったとは、私の人生もまんざらじゃなかったと、感涙しましたねえ。実は彼が生まれて間もない頃に、夫婦は離婚して彼は手元を離れてしまったのです。住んでいたのはオーストラリアのシドニー、妻は現地の人でした。

 その頃に映画製作の仕事が舞い込んで、日香港合作で、佐藤浩市や石田純一が香港で撮影した映画『極道追踪』(91年)の製作に入っていました。私は通訳スタッフとして、3か月くらい香港滞在になっていたんです。ところが、いつもの悪い癖で彼女ができてしまった。それが直接の離婚原因です。慰謝料に、住んでいた4階建てのテラスハウスを差し出しました。1500万円で譲り受けた物件でしたが、今では5億円とか。その後、東京での映画編集に参加するために日本へ戻り、16年間のオーストラリア生活に終止符を打ちました。それが1988年、40代に入った頃ですね。

 当時、東京はバブル時代でした。私は帰国してから電撃的に3度目の結婚をしていました。そうしたら離婚した元妻が外国人向けのクラブで働くからと、子連れで出稼ぎにきて、2年間ほど長男の面倒を見ることになったのです。すると妻は、「貴方の子供なら」と、その長男の子育ても担当したのです。不思議な関係でしたねえ。

 2年ほどすると、元妻は予定通り十分に軍資金を貯めたと、また長男を連れてオーストラリアに戻っていったんですよ。そして現地で輸出入の仕事を始め、バリ島(インドネシア)の物産を買い付けていました。

 その中で息子は、元妻が再婚した相手よりも、私との関係が濃密になってきたのです。長期休みだと来日するし、恋愛相談も受けた。私も本気でアドバイスしました。しかも彼は、こんなヒッピーな父親とは似ても似つかない、オーストラリア州政府の災害対策の役人になったのです。何がよかったのかは不明です。