もともと父親への反骨精神というのもあった
ただ自分としては、いつ誰と会っても、家族でも知人でも、同じように陽気にホンネで付き合ってきたから、孫が生まれた今日まで、今後もずーっと関係が維持されていくだろうと。私は3度目の結婚で長女(27)を授かって、娘は仲間とミュージカル劇団などを主宰しています。こんな小説みたいな人生が、実際に起きたんですね(笑)。
もともと父親への反骨精神というのもあったんです。私は1948年に横浜で生まれ、2017年に日本国籍を取得しました。父方の祖父は、大正時代にイギリスから日本に派遣された新聞記者でした。横浜の自宅にはお手伝いさんもいて、二人は結婚。彼女は私の祖母に当たります。昨年のNHK朝ドラ『ばけばけ』の小泉八雲のように異国を助けて、本人もその中で生きたわけです。そこに父、チャールズ・L・ハリスが生まれましたが、関東大震災(大正12年)で家は崩壊してしまって、その後4年ほどはアメリカ本国に渡って暮らしていました。
父は日本に戻ってから、外国人なのに日本兵として出兵した経験もあります。そして終戦後は、ラジオ講座『百万人の英語』の講師として、あまりに有名になってしまった。でも私は、この頑固おやじが嫌いで、チャンスを作っては海外に出ていたのです。
若い頃は放浪者でした。19歳で横浜のセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールを卒業すると、5年間にわたる世界放浪の旅に出ました。シベリア鉄道でモスクワに入り、そのままスウェーデンに移動してバイト代を稼いだり。さらにイラン、アフガニスタン経由でインド入り。当時のイランは革命前の親米政権で、テヘランの女性などはジーンズはいてディスコでギンギン踊っていたんですよ、あの楽しい記憶が今でも目の前に迫ってきます。アフガンも革命前の王国で、のんびり豊かな国でした。実はそこで所持金が200ドルしかなくなってしまい、困って出会った人とポーカーしたら、10倍になったんです。ギャンブルの才能でしょうか。レバノンのベイルートなんて、東洋のパリでしたね。それが今はすべてアメリカ戦で消耗して、絶句するばかりです。
ロバート・ハリス
1948年、横浜生まれ。高校時代から国内、海外をヒッチハイクで旅する。大学卒業後、東南アジアを放浪。バリ島で1年を過ごしたのち、オーストラリアに渡り、1988年まで16年滞在。シドニーで書店兼画廊「エグザイルス」を経営する。また、映画、テレビなどの製作スタッフとしても活躍。帰国後、92年よりJ-WAVEのナビゲーター(現在は終了)。現在、作家としても活躍。独自の生き方や世界観が若者やアーティストからも熱く支持されている。著書に『エグザイルス』『ワイルドサイドを歩け』『人生100のリスト』『JJ横浜ダイアリーズ』などがある。
『Otona no Radio Alexandria』
ロバート・ハリスが送る、プレミアム世代へ向けた文化情報発信番組。心躍る懐かしの音楽とともに、好奇心をくすぐる雑談を添えて、“様々な生き方”のヒントを共有していきます。JFN系列/InterFM 全国24局ネット番組
毎週月曜~金曜 生放送 11時00分~12時55分
※11時~11時30分はInterFMのみ。11時30分からは全国ネット