「当時スクール水着しか持っていなかったので…」
オーディションを受けたのは、現在のようにAIに聞けばすぐに答えがわかるような時代ではない。14歳の原田さんは芸能界がどんなものか、全く想像すらできなかったはず。オーディションを勝ち進んでも、どこか浮ついた気持のままだったという。
「九州地区の予選は福岡の有名ホテルで行われ、芝居のテストや面接、水着審査もありました。当時スクール水着しか持っていなかったので親戚の子に借りて。その胸元に赤いフリルが付いたワンピースの水着をよく覚えています。
他に覚えているのは、オーディションに集まった女の子たちがキラキラ輝いて見えたことと、面接室の真ん中の席に、眼光鋭い角川春樹さんが座っていらしたこと。そして予選を通過して、最終審査へ向かうのですが、『せっかく東京に行くから、原宿の竹下通りに行ってみたい』って、どこか旅行にでも行くような気分でした。
本選は4月で、そこで特別賞をいただきました。驚いたことに、その時点で夏からはじまるドラマ『セーラー服と機関銃』のヒロイン役に決まったんです。あまりに突然で、頭も気持ちも追いつかないまま……。とりあえず、少し休学して東京で演技の先生の元でレッスンを受けて、そのまま撮影に入るという感じでしたから、俳優になることを深く考える余裕もなくスタートしたんです」
近年は、映画やドラマが公開される数年前から俳優のキャスティングが済んでいることが多い。80年代の芸能界は、いまよりもっといろんなことが、のん気だったのかもしれない。
「初めてのドラマ撮影に入ると、今度はすぐに翌年の映画『時をかける少女』の話が決まりました。夏休み期間中に引っ越さなければ、学校も転校するんだみたいに、あっという間にいろんなことが進んでいって……。私としては、『このドラマを撮ったら長崎に帰ろう』と思っていたのですが、そんなことができないくらい次から次へと出演作が決まっていきました。