音楽活動におけるチャレンジとこだわり
この言葉通り、1990年代に入ると原田さんは作詞やアルバムのプロデュースを行うなど、アーティスト性を高めていった。そんなとき、音楽キャリアをがらりと変わる“THE CHANGE”が訪れた。ロックバンド・ムーンライダーズのリーダーで、日本のポップミュージックシーンのレジェンド・鈴木慶一さんとの出会いだ。
「たまたま、お仕事で鈴木慶一さんとご一緒して。お話しさせていただいたときに、『この方なら、きっと新しい私を見つけてくださるに違いない!』と予感がしたんです。
それから作品を一緒に作るようになると、自分が俳優であることなどを全部取っ払って、音楽という表現で“自分の庭”みたいなものを作っていくことができるようになったと思います。音楽を生み出す楽しさは、慶一さんとの出会いからはじまったのかなと思います」
丁寧なものづくりに触れ、原田さんはそれまでにはなかった音楽の楽しさを発見した。
「それまでは、私や役をイメージして作られる曲がほとんどでしたが、慶一さんはそうじゃなかった。だから私も『ここからがデビューなんだな』という気持で、ひとつの素材となってアルバムを作っていったんです。自由にやれた感覚があったし、今聞いてもすごく尖っていて、チャレンジがたくさん詰まっていたと思います。
慶一さんは最初に、『好きな言葉や嫌いな言葉を教えて』とおっしゃいました。私は言われるままにいっぱい書き出したのですが、そうしたところから原田知世がどんな人間かを知ろうとしてくださったんでしょうね。私も、音作りを始めるところから全作業に関わり、イチから手作りしていきました。
慶一さんのプライベートなスタジオに信頼を寄せるエンジニアさんを呼び、打ち込みの音を土台から作っていくのを見ながら、1つ鳴らすたびに、『この音は好き?』『これはどうかな?』と確認し合いながら進めていきました。みんなでまるでゲームをしているみたいな感覚でした楽しかったですし、その作業を通じて音楽を身近に感じられたんです」