24歳のときに『お笑い大集合』(フジテレビ系)に出演し、実質的な芸能界デビューを果たした片岡鶴太郎。その後『オレたちひょうきん族』などで国民的お笑いタレントとなり、俳優へ転身。1988年にはボクシングのプロライセンスを取得し、画家、書家、さらにはヨガ実践家としてもインド政府公認のインストラクター資格を取得するなど、唯一無二の才能を発揮し続けている。
71歳となった現在も進化を続ける彼に、人生の「THE CHANGE」を聞いた。第1回では、お笑いの世界に飛び込んだ幼少期と、『ひょうきん族』での大ブレイク、そして本格的な俳優を目指した“顔面・肉体改造”の真意を語る。【第1回/全2回】
「物心ついた頃には芸人になろうと決めていた」父親と通った寄席と、座布団の上の原体験
物心ついた頃には、もう芸人になろうと決めていた気がします。父親が下町の男で、大の寄席好き、落語好きでした。それで土曜、日曜になると「行くぞ」と、上野や浅草の寄席に連れていかれるわけです。
落語なんて子どもにとっては正直よく分からない部分もあるんですけど、なんとなくダーッと聞いていると、「ああ、そうかそうか」と理解できてくる。合間には漫才や漫談、ものまねといった子どもでも素直に面白い色物もありますし。笑っているうちに、前座噺くらいはなんとなく覚えるんですよ。それで家に帰って座布団を敷いて「えー、毎度バカバカしいお話を……」なんてやってみせると、父親がすごく喜んでくれるんです。それが嬉しくてね。
高校では演劇部に入って、三年のときには部長も務めました。渥美清さんのドラマを見ていまして、ペーソスとか、お笑いというものを芝居の中に入れていくこともやりたいなと感じていました。
芸人として出発しましたけど、いずれは芝居のほうに行きたいということを、その頃からずっと思っていたんです。1年上の先輩に、文学座にも出ていた梅沢昌代さんがいて、めちゃくちゃ芝居がうまかった。当時から、いい出会いに恵まれていたと思います。
初めてテレビに出たのは10歳のとき。フジテレビの素人参加番組『しろうと寄席』に、親に内緒で勝手に応募したんです。そうしたらオーディションの知らせが来て、父親が「おまえ、なんだこれは」と。「モノマネやるから連れて行ってくれ」とお願いしたら「ちょっとやってみろ」と言われましたけど、さすがに親の前では恥ずかしくて「オーディションではやるけど、ここではできない」って、ちょっとした親子ゲンカになりました(笑)。