「この鶴ちゃんって、荻野くんじゃないか」伝説のプロデューサーとの運命的な再会

 なんとか説き伏せて連れていってもらうと、そこで当時ADをやっていて、後に『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』のプロデューサーを務めた横澤彪さんがいました。横澤さんが「ぼく、面白いね」と言ってくれて。ネタに「こうしよう、ああしよう」とアドバイスをくれてテレビに出ることになったんです。子どもが出ること自体が珍しい番組でしたからね。ずいぶんとかわいがってもらいました。

 その後、片岡鶴八師匠のところで芸人としての修業を積んで、24歳で『お笑い大集合』に出たとき、横澤さんと再会したんです。そうしたら、「この鶴ちゃんって、荻野くんじゃないか」と覚えていてくれて。「やっぱり来たか」と言ってくれました。

 それから『オレたちひょうきん族』が始まっていくのですが、あるとき、その頃すごい人気だった近藤真彦さんのモノマネをやってくれとディレクターに言われたんです。

 それまでマッチのモノマネなんてやったことがなかったのに、日曜にテープを渡されて、水曜にはもう本番。『ギンギラギンにさりげなく』を大急ぎで覚えて。いきなり一人でやらなきゃいけなくなって、セットをバンバン壊しながらハチャメチャにやったんです。元気なマッチがとにかく暴れ回って、最後には死んじゃうっていう(笑)。なにしろ一発で終わる予定だったので。

 それが放送されると、ものすごい反響で。翌週の『笑ってる場合ですよ!』に、「今日のゲストは “ひょうきんマッチ”です」と出て行ったら、オープニングからすごいことになったんです。