2024年1月、ステージ4の下咽頭がんを公表してから2年半が経った見栄晴さん。高校生の時に芸能界入りし、タレント稼業40年超。どうしても声を失いたくなかった見栄晴さんの、がんを乗り越えて得た“THE CHANGE”とは。【第2回/全3回】

見栄晴 撮影/河村正和

 がんが発覚してから、ベルトコンベアに乗っているようだったという話をしたけれど、僕は人生そのものが、ずうっと何かに乗っかってるんです。40年来の付き合いになるヒデ(中山秀征)は、群馬からスターになるという目標を持って出てきて、いろいろもがいたり勉強したりしているけど、僕にはそういう確固たる目標がない。

 だけど突如として高校1年生の時に萩本欽一さんの冠番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)という番組のオーディションの最終選考というチャンスの場が訪れました。最終選考はまさかのじゃんけん。僕はじゃんけんで勝って芸能界へ入ったんです(笑い)。

『欽どこ』が終わるころ僕は高校3年生で、欽ちゃんが「将来どうするんだい」と訊くから、できればこの世界で頑張りたいと言ったら、「見栄晴は大学行きな」って。欽ちゃんに確認してはいないんだけど、僕には突出した何かがあるわけでもないから、芸能界がダメだった時の保険として、そういう選択肢を考えさせてくれたんだと思います。ただ、欽ちゃんはそういうふうには言わない。「大学は、一生の友達ができる場所だから」って。「俺は大学に行きたくて行けなかったけど、友達を見つけに行ってみてもいいんじゃないか」って。

 現役の時は不合格。浪人していたら欽ちゃんから電話があり、「うち来る?」と言う。「俺も大学行きたいって言ったでしょ。家庭教師の先生頼んだから一緒に勉強しようよ」という話でした。一緒に勉強なんて、僕に気を遣わせないようにする優しさですよね。

 半年ぐらい通ったかな。その30年後ぐらいに、欽ちゃんが本当に駒澤大学に入学した時には、素直にすげえと思いましたよ。18歳の自分に、本当のことを話してくれてたんだと。僕は、ギャンブルにのめり込んで結局中退しちゃったけど……。